823年ぶりの5月の財布の真実!? 522南海トラフ地震と311は源義経の祟りだった!!
5月22日に日本で大きな地震(南海トラフ地震と首都直下型地震?)が起こると騒がれていますね。情報源はさまざまあるものの、そのほとんどがいわゆる『トンデモ』ネタだったりします。ですが、私えぬぐちも独自の調査で、とある『トンデモ』説にたどり着きました。
次の2つの情報をご存知の方は多いことと思います。
「今年の5月は823年ぶりの財布」
「311ゆらゆら」と「522ぐらぐら(ぐちゃぐちゃ)」
実はこの2つの情報の裏には、なんとあの源義経が関係していたのです!!
、、、まあ、話半分に聞いてやってください。
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2015年の5月は823年ぶりの財布
今年2015年の5月は「金曜日と土曜日と日曜日が5回ずつあり」「こんなことは823年ぶりで」「これを風水で財布と呼び」「この話を広めると財運に恵まれる」という情報は、デマというかガセというか不正確な情報でした。 2009年にもありましたし、次は2020年にもあります。以前、このブログにも書いたので気になる方は過去の投稿をご覧ください。
ですが、こんな情報が流れるのには、きっと何かワケがあると思います。何者かが、何かを伝えようとしているのではないでしょうか? それが、本人の意図とは違う形で解釈されることが繰り返されて、全く違う情報になってしまったのです。
では、誰が伝えたかったのか?
そうです!
誰もが知っている悲劇のヒーロー、、、
源義経です!!
義経が言いたかったのは、『823年ぶり』の部分だったんだと思います。『ぶり』ではなく、『前』でしょう。 823年前といえば、1192年です。1192年といえば、兄でありながら義経追討の命を発し、義経を自害に追い込んだ源頼朝公が鎌倉幕府を設立した年です(諸説あり)。
522ぐらぐら(ぐちゃぐちゃ)
2011年の3月11日に発生した東日本大震災の直前に多くの知的障害者の方が「311ゆらゆら」「522ぐらぐら(ぐちゃぐちゃ)」と言っていたそうです。「311ゆらゆら」がいわゆる311を示すのであれば、「522ぐらぐら(ぐちゃぐちゃ)」は5月22日に起こる、311よりも大規模な地震を予知しているのではないか!? という噂です。これについても、このブログの過去の投稿をご覧ください。
5月22日といえば、このブログを書いているのが21日ですので、もう明日に迫っています。イヤですね(笑) この情報は毎年5月22日に近くなると、ネット上に流布していたようですが、2015年はいろいろ危ないと騒がれているので、今年こそは、、、。
ところで、義経がここで言おうとしているのは、またしても源氏に関係したことです。源頼朝公と義経は兄弟とはいっても母親が違う上に12歳も年が離れており、頼朝公が挙兵した際に初対面を果たしたわけですが(頼朝公34歳、義経22歳)、義経が兄・頼朝公を尊敬し慕っていたのに対し、頼朝公は義経に兄弟としての思い入れはとくに感じておらずに、単に武芸に秀でた若者として接していただけだったようです。
兄のためにと獅子奮迅の活躍で平家を追い詰めて行った義経ですが、ご存知のように、平家滅亡後には頼朝公に命を狙われる身となってしまいました。その理由については諸説ありますが、、、武家による独立政権(幕府)を作るために権威の象徴として頼朝公がどうしても手に入れたかった三種の神器の価値を義経が理解しなかったことと、結果的にそれを奪還できずに終わったこと、そして、戦の功績を評価されて朝廷から勝手に官位を賜り、武家の出でありながら公家、つまり朝廷の家臣となってしまったことがさらに武家の地位の向上を妨げた、、、この説が最も真実味があるように思います。
兄に命を狙われ、4年に渡る逃亡生活の末に奥州平泉の衣川館にて義経が自害したのは1189年(文治5年)4月30日(旧暦)でした。義経の首が都に届けられ、不肖の弟の死に頼朝公が歓喜の声を挙げたのが同年5月22日(旧暦)のことです。無念の思いを残して彷徨っていたであろう義経の魂は、その兄の姿を観て、怒りにうち震え、激しい憎悪の念を抱いたに相違ありません。
それからおよそ140年後の1333年(正慶2年・元弘3年)、鎌倉幕府が東勝寺合戦での敗北を受けて滅亡したのがこの年の5月22日(旧暦)。そうです、義経が兄・頼朝公を激しく呪った5月22日に源氏は滅んだのでした。どうやら、5月22日というのは義経にとって忌日であるようです。
では、311は?
気になる311との関係ですが、ちょっと強引にこじつけてみましょう(これまでも強引でしたが)。
1189年に自害したはずの義経が実はモンゴルに逃げ延びていて、モンゴル帝国の創始者チンギス・ハーン(ジンギスカン)になった、という説はご存知でしょうか? 決してトンデモというわけでもなく、信頼に足る文献も多数存在しているということから、昔からまことしやかに唱え続けられている説です。
ちょっと話が飛びますが、羊肉を使った焼き肉といえばジンギスカンですよね? 語源はこのジンギスカンさんに拠るものです。ジンギスカン鍋の山のような形が、ジンギスカンの率いたモンゴル軍兵士の兜に似ているということからこのような名前がつきました。
旧暦の3月11日は新暦の4月29日です。4月29日は、ジンギスカン食普及拡大促進協議会が北海道の郷土料理ジンギスカンをPRするために制定した『羊肉の日』なんです。4(ヨー)29(ニク)。
2015年は未(羊)年、5月はメ~(May)。311の発生は午後2時46分でしたが、午後2時台は未の刻です。そして、311の震源は義経が自害した現在の平泉町のある岩手県から茨城県まで広範囲に渡っていました。これは関係がないと言う方が根拠に乏しい、、、と思いませんね。
地震の脅威も去ることながら、もう一つ心配されているのが、火山大国日本なだけに火山の噴火です。
4月13日、宮城・山形県境の蔵王山に火口周辺警報(火口周辺危険)を発表されました。蔵王山では、火山性地震が増加していて、今後、小規模な噴火が発生する可能性があるということですが、山形県民であるえぬぐちにとっては、南海トラフ地震や首都直下型地震以上に喫緊の脅威です。一度噴火してしまわないといけないんでしょうか? 落ち着くということはありえないのでしょうか? そういった知識はゼロですので、ただただ不安です。
その蔵王にも、義経ゆかりの伝説が残されています。とくに白石市には多くの義経伝説が残されています。ですが、義経が白石市周辺に立ち寄ったのは、逃避行の最中ではなく、頼朝公挙兵の知らせを聞いて、意気揚々と都へ駆けつけるための道中でのことでしたので、この土地に対しては、悪い思い入れはないように思います。
蔵王以外にも噴火の危険があるのが箱根山ですね。箱根といえば、源頼朝公が1180年の石橋山の戦いで大敗を喫し、しばらく身を隠したのが箱根山でした。
また、源氏重代の刀『薄緑(うすみどり)』もしくは『薄縁(うすべり)』を手に入れた義経が、この刀を箱根権現に奉納しましたが、後に頼朝公の手に渡ったという言い伝えが残っています。
ここでも強引に関連付ければ、、、蔵王山は尊敬する兄のために勇ましい気持ちで通った土地であるのに、やがてその甲斐も虚しく、命を狙われることになってしまった義経が、後になってその時の気持ちを振り返ってみたときに、非常に虚しさを感じた土地であるでしょうし、箱根山は義経が共に死線をくぐり抜けてきた、いわば友とでもいうべき宝刀を、崇拝する神に寄進したはずであったのに、自分を死に追いやった頼朝公が源氏の頭領としての権威を示す野望のために奪ったという悔しい気持ちにさせる土地、、、という見方が出来なくもありません。
蔵王山や箱根山自体に恨みがあるわけではないでしょうが、悲しみや怒り、恨みや呪いの感情を感じる土地に相次いで異変が起こっているようです。そんなことを言えば、義経の逃避行は日本の中部から東部にかけての広範囲に及んでいるので、誰も安心できなくなってしまいますが。
義経の無念は未だ晴れない
義経の恨みが未だ晴れていないとしたら、頼朝公の子孫が存在しているこの日本に対する呪いはまだまだ強いものなのではないでしょうか。義経にとって忌々しい日、、、5月22日がもうすぐに迫っています。
そこで、私えぬぐちが言いたいことは、、、いつも同じです。「備えましょう」コレに尽きます。
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